歴史と開発

京王線桜上水駅は快速、急行が停まることから新宿へは15分、市ヶ谷まで急行で20分と恵まれた立地にある。しかも日大をはじめ、教育機関も集まっている。
しかし、その日大生は下高井戸駅から帰宅し、お金を落としていく。
桜上水はいつからこんな為体になったのか。歴史をさかのぼってみてみたい。

昭和36年当時の桜上水駅前

そもそも桜上水駅は大正15年に京王電気軌道の北沢車庫前駅として営業を開始し、 昭和8年に京王車庫となった。写真は昭和36年頃。 京王遊園のプールのイベントや裏磐梯へのバスツアー等  このあたり、今と変わらない。


昭和58年に移転した車庫と検車区。現在の桜上水の橋上駅舎は平成20年に完成した。 世田谷の区域は駅を中心に商店街が誕生、発展し 買い物客が増加、地方からも見学者が押し寄せ、昭和40年代はスリが横行した。

写真出典:写真で見る高度成長期の世田谷1955〜64 世田谷区立郷土資料館


おかしな区割り すべてはここが元凶か

駅自体は世田谷区、駅の南は世田谷区 だけど北の商店街は杉並区。だからまとまらない。 商店会の人々は「よそさま」には口出さない。 住民の生活目線を無視した区割り。 ゴミの回収日も同じ敷地なのに違ったりして。 桜上水の商店街は不思議な位置にある。駅の南北にひろがる 商店群は、図のように甲州街道をエンドとして杉並区と世田谷区 に分断されているのだ 世田谷には「桜上水商店会」という地元のコミュニティがあり 活動しているが、これは図のピンクの線より南なのだ

(図:世田谷区全図平成23年度より作成)


三河屋のさぶちゃんがいた時代

じいたちが幼少のころは、桜上水周辺は 三井牧場の異国情緒あふれる牧場と周辺はお屋敷町で 買い物はご用聞きにお願いしていた。 だからその名残が桜上水商店街のあちらこちらにある 鮮魚店に魚屋、八百屋さん、近くの下高井戸に買い物に行った また、桜上水周辺の住宅街にはお屋敷街への 家政婦紹介所の名残もある 自宅の庭に家政婦の看板。下は折れているけれど。 下高井戸へはお買い物、桜上水の商店からはご用聞き が来ていた。商店街が育つ必要性がなかったのだ。


日大文理学部のことはじめ

昭和12年、桜上水駅に日大予科文科世田谷校舎を竣工。 しかし、今は桜上水駅で降りて(遅刻を免れ)、下高井戸駅で乗って家路につく日大生。

写真出典: 昭和36年頃の日大「写真で見る高度成長期の世田谷1955〜64」世田谷区立郷土資料館編


桜上水団地から“ガーデンズ”へ
南はいいねえ。。楽しそうで

桜上水の変貌の目玉はやはりこの大規模集合住宅の再開発だろう。総開発面積は47000㎡。 「団地」という言葉が消えていく現代だけど、もともと桜上水団地は1965年、日本住宅公団(現在の独法都市再生機構)によって整備されたもの。教育環境と自然に恵まれた(何しろサクラ上水というだけあって桜並木が見事)住宅街の中の住宅街が誕生する。そのうちドラマの撮影なども行われるだろう。幸せを絵に描いたような(それでいて中身は冷えきった)家族の崩壊と再生の物語などどうだろうか。 北に住むじいは嫌みの一つもいいたくなる。 50年かけて成長してきた落葉広葉樹は180本あまり。これに新たに360本以上の高木を植樹。以前の団地は17棟もあったが、ガーデンズは9棟にまで整理。しかしこれらの楽しそうな分け前に杉並区民は預かりません。まぶしすぎる夢物語はあくまで駅の南側の話。

出典:野村不動産三井不動産レジデンシャル Tokyo Re-Birth Project 桜上水ガーデンズ リーフレットより完成予想図

商店街探訪へ

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